通説は真実とは限らないよという話。
はじめに
煮物は冷めるときに味が染み込むと言われて冷ましという操作を行うことで味がよくなることは広く知られています。
これに対する説明がイマイチ納得行かない。というのも物質の移動(拡散)は温度が高いほど早いとうのが一般的に知られた話だからです。冷ますことが物質の移動速度を増加させたりするとはありえないというのが直感的な感想になります。
科学的に解説されている他サイトさんや料理研究家の話を聞いても、体積変化や圧力、浸透圧といった難しい言葉を使う一方で、拡散に触れている人は稀です。
本記事では、味が染み込む現象や味の染み込む系の諸説に触れます。
通説、味が染み込むとは
煮物に味が染み込むというのは、煮汁が食材に移動して起こります。お祖母ちゃんの知恵袋的な話から、冷ますときに味が染み込むんだよ、という話をよく耳にします。
実際に自由研究で検証された結果が報告されています。
外部リンク:冷めるとき味がしみこむのはなぜか?
体積変化や浸透圧について言及されているので、これらを少し踏み込んで検証してみます。
諸説1:体積変化について
冷めるときに、煮物が縮み周囲の出汁を取りこむため良く味が染みます、といった解説があります。これはよく考えると起こりえません。
一般的に加熱をすると物質の体積は増えます。逆に冷やすと体積は減ります。煮物で考えると、次の図のようなようになります。
かなり極端に書いていますが、加熱した食材は膨張しており、冷ますと食材は収縮します。収縮すると、減少した体積分何かを押し出さなければなりません。よって冷ますときに煮汁を吸うというのは物理的に考えて起こりえないわけです。
例えば、全く別の現象ですが、呼吸に着目してみます。呼吸は、横隔膜などの筋肉が動いて肺の空気が入れ替わる現象です。このとき、肺は膨張と収縮を繰り返します。収縮するとき、肺に含まれていた空気は鼻から対外へ排出されます。収縮するときに空気が外から入ってくることは起こりえません。
加熱中に大根やコンニャクの重量が減るデータが公開されていそうですが、詳細が開示されていないため、どのような状況がわからないので、それをもって重量の増加分は煮汁と考えるのはデータが不足しています。
諸説2:浸透圧について
浸透圧が作用して冷めるときに味が染み込むと解説されてることがあります。
浸透圧が働く場合を思考実験してみましょう。
浸透圧は濃度の異なる液体が半透膜で仕切られている場合に生じます。例えば、浸透圧の高い煮汁と大根の細胞表面にある浸透膜といった感じを仮定します。半透膜は、皆さんご存じの通り、小さい穴の開いた膜で水のみが通れるものです。
半透膜がしっかり仕事をした場合、濃度の高い煮汁へ大根から水分が移動していきます。そして、煮汁側から塩、砂糖、うま味と言ったうま味成分が移動することはありません。半透膜の穴が小さいため、ブロックされてしまう、ということになります。
従って、浸透圧という言葉を使って、味を染み込むという現象を上手に説明するのは難しいんじゃないかなと考えられます。そもそも他の説明でも、浸透圧は水分を出して味を濃縮するという説明でよく出てくる言葉なので、煮物との相性が抜群に悪いわけです。
この資料の有効性
この自由研究結果では、冷ます工程を入れた物の方が味が染み込むと結論づけられています。
こういった比較データでは、前提条件を揃えてえ比較するか、同じ条件になるようにデータを補正します。しかし、冷ました物と温度を保持したものでは、煮汁との接触時間が大きく異り補正もされていないため、冷ました物に味が染み込みやすい条件となっていました。
従って、データの解釈が甘い、起こりえない現象に言及している、同一条件で比較していない点などから考えると、この資料から冷めるときに味が染み込むと言い切れないと言ったところです。
味が染み込む現象について
食材に味が染み込むというのは、決して難しいことではなく、シンプルな話です。
一言で言ってしまうと、液体に溶けていた物質が、食材内部へ移動するという話になります。日常生活でも物質の移動はありふれていて、味覚ではないところだと、衣類の汚れを落とすことや水が染み込んでいくのも拡散のひとつです。
物質の移動は、専門書では拡散と呼ばれ、一般的に温度が高いほど速度は高くなり、温度が引くほど拡散しにくくなります。人間でも温度が低いと動きが鈍ってきますよね。例えとしては適切ではありませんが、物質も温度が低いと動きが遅く、味が染み込むといった現象では、不利になります。
煮物中の物質の拡散
拡散は温度に依存します。例えば、アミノ酸分子のダイコンへの拡散係数は20℃で1.0×10-9 m2/s、98℃で3.5×10-9 m2/sと推算され常温付近と沸騰直前では3倍以上違います。また、味がしみることについて次のように解説されます。
「味がしみる」(拡散)のは時間オーダーの現象です。 食物中の伝熱と拡散は係数のオーダーが2桁違う*)ので,煮るのは短時間ですが,そのあと味がしみるには時間単位で待たなくてはならないというのが「煮物は冷めるときに味がしみる」の説明となります。
化学工学,Vol. 73, No. 2, 98 (2009)
これとは別の文献では、食塩が食品に拡散する速度を比較して次のように結論付けられています。
温度が低下する過程での味のしみ込みの効果は認められなかった。このことは,官能評価においても確認された。冷めるときに味がしみ込むというのは,加熱直後にくらべ,冷めてからの方が味が濃い,つまり冷めるまでの時間に味がしみ込むということを指していると考えられる。
日本調理科学会誌, Vol.45, No.2(2012), 133-140
というのを見てなるほどなと思いました。
冷ます操作が味が染み込むと仮定すると、拡散によって説明することはできず、逆に冷やさないほうがいいということになります。
仮説:食材への吸着
食材は水分に満たされた多孔質の物体です。水に味覚成分が拡散することで味が染み込むわけですが、多孔質ということは吸着も起こっていると考えられます。
試しにこんにゃくに醤油を染み込ませてみます。こんにゃくは大半が水分のゲルですが、塩析によって不溶化しているので疎水性の部分があり吸着剤として使用可能と思われます。また、醤油は白い繊維に付着すると落ちにくいので吸着させる物質に適していると判断しました。
こんにゃくに醤油を吸着させることで食材への吸着が起こるか確認してみようと思います。
左から、醤油浸漬1日、未処理、醤油浸漬後2日水にさらしたものです。これではよくわからないので未処理のものと水に晒したものを半分にして内部を見てみます。
右が醤油を染み込ませて水に晒したものです。醤油が抜けきっておらず醤油の色素が吸着していることがわかります。
思ったより色が抜けているのは醤油や水に晒すことで表面が崩れかけていたため水との接触面積が増えたためと思われます。
温度が低いと吸着量が増える
吸着は発熱をともなう平衡反応です。
固体 + 溶質 ⇆ 吸着 + 熱
水溶液中に溶けていた溶質は吸着によって固体表面に拘束されるため、運動エネルギーを失い発熱します。ちょっととっつきにくいかもしれませんが、水が蒸発するときに熱が奪われる逆の現象もこれと同じです。
ルシャトリエの原理より、熱を取ることで右に進む反応が進みます。つまり冷ますほど吸着量が増えるということです。冷ますと味がよく染み込むという煮物で起こる現象をリーズナブルに説明できそうな感じがします。
ただし、イオンや水溶性の高い物質は吸着しないので本当に味として現れるのかってのは微妙に思えます。
おわりに
冷めるときに味が染み込むというのは煮汁に漬けている時間に依存しているので調理後冷めたときに味がしみていたということから広まった通説だと思われます。
冷ます工程が、味を染み込ませたいと思いたいのはわかりますが、説明するためのデータや理屈が見つからない以上、通説は破綻していると考えるのが妥当ではないでしょうか。
吸着という切り口でみるとうまく説明できそうですが、水溶性の高い味覚成分に適用できるかは不明です。風味が増すという説明にはなりそうですけど、それを裏付けるデータを取るに至っていません。というか家庭じゃこれくらいが限界じゃないかな。
というわけで今回は以上になります。
おでんの練り物に限った煮込み時間はこちらの記事をご覧ください。
コメント
コメント一覧 (8件)
https://www.shizecon.net/award/detail.html?id=49
直径18mmのアクリル製パイプの一端に、人工透析用の半透膜を着け、その中にしょう油水溶液(80℃)を入れた。これをビーカーの水(80℃)の中に立てると、温度の低下とともにしょう油水溶液の液面が上昇、下降した。70~60℃のときに、ビーカー内の水(ダイコンやコンニャクと想定)が半透膜を通してしょう油水溶液側に移動したため液面が高くなった。40℃では逆に、しょう油水溶液か
半透膜は加熱によって半透性を失っています。あと、よくこの研究出す人いますけど、データよく見ると温度を下げる試験の浸漬時間が長いので単純比較できません。
「沸騰させたまま」と「火を止めて冷ます」という条件の比較では後者のほうがよく染みます。
原因は食材内部の圧力が減るためです。
ごめんなさい。仰ってる意味がちょっとわかりません。圧力が変化すると、拡散係数が変わるのでしょうか。
大根を大量に煮込み一部を保温容器に
取り分けて高温を維持し
残りを常温で冷ました場合
常温で冷ました方が味がよく染みている
うちで再現できません。
煮物を「3時間冷ます」のと「3時間煮込み続ける」では温度の高い後者の方が味はしみると思います。
ただ、煮込み続けると煮崩れてしまうため、味をしみさせるには長時間かかるけれども低い温度の煮汁につけておくけというのがその意味なのだと思います。それが勝手に一人歩きして「冷めるときの方が味がしみやすい」という誤解が広まったのではないでしょうか。
ちょびさん、コメントありがとうございます。
それを飛び越えて温度勾配をつけることが味を染み込ませるコツになってしまっていますね。