サバ缶は、近年のブームでツナ缶の生産量を超えました。美味しいと言われるサバ缶には美味しい理由がちゃんとあります。
はじめに
サバは痛むのが早い食材ですが、古来より日本人に食され各地に伝統食として受け継がれてきました。焼き魚や煮魚だけでなく、加工され〆鯖、塩サバ、へしこ、鯖節など様々な形に加工して保存性を高め流通しています。
特に福井から京都に残る鯖街道は、若狭湾で取れたサバを塩サバにして京都に運んだと言われる街道で現代までその名が残る例です。
近年、鯖缶の人気に火が付いたのは単純に美味しく常温で保存ができ扱いが簡単、そして安いことがあげられます。
サバの缶詰が美味しい理由
サバは旨味成分のイノシン酸の含有量が多い魚です。
イノシン酸は核酸系の旨味成分で細胞のエネルギー源のATPが酵素によって分解されることで生じます。魚以外では豚肉、鶏肉に多く含まれています。
イノシン酸は酵素反応によって作られますが、イノシン酸自体も酵素によって緩やかに分解され失われていきます。イノシン酸を多く含むのは、生成と分解速度に差が生じるためイノシン酸が蓄積されるためです。
しかし、生のまま塩蔵したり乾燥させたりするとイノシン酸もやがて分解されなくなってしまいます。ですが、サバの缶詰は高温、高圧で加熱処理されます。このとき、酵素が失活するのでイノシン酸の分解を防ぐことができます。
本来、殺菌目的で行われる処理が旨味の保持にも一役買っていたというわけです。
ちなみに生ハムや加熱しない塩蔵品、生のものを完走させた食品ではイノシン酸が含まれていません。これらが美味しいのは時間経過とともにグルタミン酸が生成するためとのことで、旨味成分が異なります。
サバ缶に合う料理
サバの味噌煮缶、醤油煮缶は、イノシン酸とグルタミン酸を含むため、旨味の相乗効果でとても美味しく完成度の高い食品です。
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一方でサバの水煮缶は、塩水で煮込んだだけで余計な味付けがされていません。そのため、そのまま食べるよりも調味料を加えたり、料理の材料として使うのに向いています。
具体的には、グルタミン酸を含む食材、調味料を合わせてあげれば旨味の相乗効果で美味しい料理を作る近道となるわけです。
グルタミン酸を含む食材は、トマト、昆布、醤油、味噌、ポン酢、生ハム、チーズなどです。
長野ではよく味噌汁の具として用いられ美味しいと話題になることもありますが、煮干しの変わりにサバの水煮を使うのは旨味の相乗効果からみるととても理にかなったものです。
もちろんそのままでも美味しくいただくこともできます。
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特殊な調味料を使わずに非加熱で乳化可能なのでパスタソースを簡単に作れます。また、醤油やポン酢を用いても美味しくいただけます。
他にも鰹節の代わりに出汁として用いるような料理に使うなど、食材としての可能性は無限大に広がっています。
サバの臭みを和らげる方法
魚類は独特のアミン臭がします。特にサバの臭いが苦手な人は多くいます。
魚独特の臭みの原因はアミン系の物質なので酸を含む食材、調味料を少量加えることでかなり改善されます。
ポン酢、柑橘類、酒これらを加えてみましょう。
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缶詰の賞味期限
缶詰は買ったは良いけどいつの間にか賞味期限が過ぎていることが多くあります。しかし、捨ててしまうのはもったいない。賞味期限が過ぎた缶詰はとても美味しいことが多いです。
高温高圧で製造される缶詰は、腐ることはなく賞味期限が切れてから10年経過しても食べられます。さすがに自己責任ですが、缶に凹みや膨らみがなく、開けて異臭がしないことを確認して食べています。
缶詰の賞味期限を守る場合は、ストック用を確保したら食べたら買うか買ってから古いものを使い古くなりすぎないようにローテーションさせていくことが大事です。
ちなみに常温で保存できるんだから保存料が使われているはずだと思われる方もいますが、製造されるときに高温、高圧にさらします。このとき微生物や菌類は死滅するので保存料を使わずに済みます。
食品添加物すら入っていないので安心して食べてください。
おわりに
ツナの生産量を越えたサバの缶詰は、イノシン酸を多く含む出汁として使うことのできる食材です。しかも常温で長期保存可能なので非常食として扱うこともできます。
出汁として使うことができるので裾野が広く、様々な料理に使えます。その用途は和食だけでなく、洋食、中華、エスニックと地域や国を超えた料理にできるでしょう。
人気もさることながらご当地サバ缶も数多く存在するのでネット通販で探してみるのもオススメです。メーカーによる味の違いを楽しむなんて遊びもありかなと思います。
最近はスーパーでも品切れで買えないことも多いので通販で確実に入手するのもオススメです。
参考資料
比較生理生化学, Vol.15, No.3(1998), 193-200
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