解体を待つ横須賀水道上郷水管橋

横須賀水道道は半原から横須賀まで旧海軍が敷設しました。相模川を跨ぐ上郷水管橋は2018年に竣功から100年を迎えます。すでに半原水系の廃止は決まり撤去を待つのみの鉄橋を紹介します。

はじめに

神奈川県を斜めに横切る細い道があるのはご存知でしょうか。

横須賀水道みちと呼ばれ半原から横須賀まで神奈川県を斜めに横断する形で敷設されています。この水道みちは100年前に旧日本海軍が建設しました。

その証拠の水道みち沿いには「海」と書かれた境界石が多数みられます。

横須賀水道みち

当初、横浜市水道が計画していましたが、流域の水利権にからむ反対や莫大なコストによって具体化しませんでした。

海軍が新たな水源として半原水系に着目したことから問題が解消して1912年2月に工事がスタートします。取水口から横須賀までの距離は53km。高低差は70mです。この間ポンプによる加圧はなく、自然の力で逸見浄水場まで送水されます。

上郷水管橋はこの中間地点にある相模川を跨ぐ10連曲弦プラットトラス橋です。明治期に流行した形状で下流の相模橋、中津川の馬渡橋、平山橋もこのような形状をしています。現存しているのは平山橋のみですが当時の面影があるのでこちらはまた別の機会に。

上郷水管橋

上郷水道橋と記載されることもありますが、国土地理院地図等には上郷水管橋と記載されています。google mapには特に記載はありません。場所はこちらになります。

海老名側、有鹿神社の裏のところから橋をみると銘板を見ることができます。右から左に読む昔の書き方で書かれており現代と違うのが一目瞭然です。

横河橋梁製作所
東京工場制作
大正七年三月竣功

と書かれています。1918年3月竣功なので2018年からちょうど100年前です。

 

それでは写真をご覧ください。まずは厚木側から。

河原の真ん中から

有鹿神社裏の海老名側から

100年前に作られたとは思えないくらい綺麗に残っています。錆びて朽ちることなく、定期的に塗装はされていたのでしょう。

コンクリートも大きな崩れもなく大変綺麗です。本当に100年前ののものとは思えない。当時良質な砂利や砂を濁りがでなくなるまで洗ったと伝えられていることから、品質の良いコンクリートなんだろうと思います。

昔と今のちがい

かつての姿は絵葉書で発行されたものが残っていて厚木・愛甲今昔写真帖に掲載されていました。引用という形ですが御覧ください。

厚木・愛甲今昔写真帖より

昔の橋脚はほとんどが砂利の中にあり、現在のように露出していません。これは上流でダムが建設されて土砂が運ばれなくなったこと、建材として砂利採掘が大規模に行われたためです。

何メートルも橋脚が露出してる現在の姿は、当時からすると異様な光景に見えます。

上郷水管橋の今後

横須賀市HPのボイスバンクには次のようにあります。

なお、「半原水源系統廃止基本方針」では、施設の利活用の方向性にも触れており、現在まで関係機関と利活用について協議してきましたが、残念ながら具体的な利活用まで至らず、今後も厳しい見通しとなりそうです。
 廃止施設は大きく分類すると、取水口、水源地、水管橋および管路があります。
 取水口と水管橋については、河川管理者の管轄となりますが、使用しなくなった施設については、施設に起因した事故の防止を図るため、河川法に基づく撤去を求められています。
 管路については、道路管理者の管轄となりますが、使用しなくなった管路は、同じく道路法に基づき原則撤去となります。
 水道橋や貯水池、隧道等の重要な遺構が解体・撤去される場合は、銘板や銘のある部材を保存するとともに各遺構の写真撮影や、図面などの記録作成を実施できるよう努力し、半原水系の歴史上の意義を後世に伝えていきたいと考えています。

 

市民の声003/28 2016年04月04日受付 横須賀水道半原水系利活用について

というわけで残念ですが撤去となる見込みです。

市の発行する海老名市観光ガイドブックにも掲載され、景色がいいと紹介されているくらいなので公園として整備するなりしてほしいなと思います。

おわりに

100年前に作られたとは思えないくらい良い状態で残っています。しかし、撤去する方向のようで近い将来この姿を見ることはできなくなるでしょう。

夕暮れどきにシルエットとして見えるトラス構造はとても美しいです。その影には様々な歴史が詰まっていて県央から当時の日本の情勢が垣間見えます。

他力本願ではありますが、三川公園の未開放地をここまで伸ばして景勝地として残ってくれたらなと思います。

参考資料

水の旅 横須賀水道100年史
県央史談 五十五号
海老名市史4 資料編 近代
厚木・愛甲今昔写真帖
横須賀市HP

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